父の事(8)~癌とALSと~
◆「人間の尊厳」について考える◆
日に日に動けなくなっていく父とその父を介護・支援する母を見て、娘の立場・医療従事者の立場で考えさせられます。
父本人は今年いっぱいかな?と言っています。
ALSなので動けなくなって行きますが、認知機能は低下していません。
ALSの残酷なところは、身体は動かないけれど、頭ははっきりしっかりしていて、認知機能は衰えないという事です。
いっその事、認知機能も衰えてしまった方が幸せなのではないか?と思う時も正直あります。
アンペック坐剤を使い、少し症状が落ち着いています。
今、一番の問題は、小用。おしっこの問題です。
直腸癌の手術をしたので父はストーマです。大便の問題は幸いにしてストーマなのでそれ程大変ではありません。
おしっこは、「導尿をしましょう」と医師に言われました。
でも、父は何回も手術をして導尿の経験があるので、自分で尿意の感覚がなく勝手に袋に溜まっていくという事が、どうしても嫌だという。
リハビリパンツを穿き、尿パッドをつけていますが、どうしても尿パッドには出来ないという。尿意の度に母を呼び、動けなくなっている身体を何とか動かし、母が持ち上げ支え、トイレに連れていく。
人間は一日に何回おしっこに行きますか?一日に5~8回位は小用に立ちますよね?
その度に会社を切り盛りしている母が呼び出しベルで呼ばれ、トイレに連れていく。
母は疲れ切って苛立っている。その愚痴を受け止めなくてはならない私も疲れる。
認知機能が低下しない。という事は、こういう事だ。
人間として、最後の尊厳がトイレの問題だ。
介護する側・看護する側・医療者側は、時として人間の尊厳は邪魔な物と感じる事があると思う。事実、父が導尿や尿パッドを活用してくれた方が、絶対に、負担が減るし、楽だ。
ただ、介護される側・看護される側の本人は、人として生きている以上、認知機能が正常であれば、人間としての尊厳を守ろうとするだろう。それは当然の事だ。
介護・看護は、する側もされる側も、どちらも大変なのだ。
息子・娘が親を、孫が祖父や祖母を手にかける事件があるが、その背景や気持ちが分かり、とても他人事とは思えないのが我が家の現状です。
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