原爆の図 丸木美術館
◆約30年ぶりの来館◆
アトリエみちのそら さんの絵本哲学カフェ~「100万回生きたねこ」に参加した後に、息子は「行かない」というので、娘と二人で片道約40分の原爆の図 丸木美術館に行ってきました。
原爆の図丸木美術館 / Maruki Gallery For The Hiroshima Panels
私が以前丸木美術館に行ったのは、確か中学生か高校生の頃。多分、高校1年生の頃だったと思う。
その時の想いや感情が重すぎて、大人になっても忘れられずにいました。
自分に子供が生まれ、親になり、多感な中学生になったので、自分の子供達にも丸木美術館で何かを感じて欲しいと思いました。
あれ?高1の時に来た時と、建物の印象が違う。
こんな感じだったっけ?
この壁画と平和の鐘に見覚えがあるけれど、鐘の位置ってここだったっけ?
そう思いながら美術館に入ると、中はまるで違う。確か1階建ての建物だったはずだけど、2階建てになっている。建て直しをしたみたいだ。
丸木美術館。
墨絵ってこんなにも迫力があるんだ。
約30年ぶりに見た衝撃と圧力。
本当に魂の叫びだ。
でも、1945年8月6日の状況は、もっともっと言い表せないくらいの惨状だったはずだ。
1945年8月9日の長崎、1954年3月1日の第五福竜丸事件と、日本は原爆と水爆の被害を受ける。
戦争が終わっても終わらない原爆・水爆の図。胸が詰まる。
夏休みの自由研究で一人で来館したらしい中学3年生くらいの男の子が、うずくまり嗚咽を漏らしながら感想を書いていた姿が印象的だった。
企画展は「儀間比呂志展」。
沖縄の現状を、沖縄らしい明るい朗らかな着彩と鋭い視点の版画で訴える。
アメリカ兵による少女集団暴行事件の作品もあり、明るい朗らかな着彩が返って残酷な沖縄の現状を浮き彫りにし、無言で訴えてくる。
ここにも終わらない戦争の歴史がある。
お土産のガイドブックとリーフレット。
そして、原爆の図を抜粋したポストカード2枚。
原爆の図にかかれている母子像。
原爆の図 第3部 水 (一部抜粋)
(略)
水、水。人々は水を求めてさまよいました。
燃える炎をのがれて、末期の水を求めて……
傷ついた母と子は、川をつたって逃げました。
川の深みに落ち込んだり、あわてて浅瀬へのぼり、走り、炎が川をつつんで荒れ狂う中を水に頭を冷やしながら、のがれのがれて、ようやくここまで来たのです。
乳をのませようとしてはじめて、
わが子のこときれているのを知ったのです。
20世紀の母子像。
傷ついた母が死んだ子を抱いている。
絶望の母子像ではないでしょうか。
母子像というのは、希望の母と子でなければならないはずです。
原爆の図 第11部 母子像(一部抜粋)
家の下敷きとなり、燃えさかる中を、
親は子を捨て、子は親を捨て、
夫は妻を、妻は夫を捨てて
逃げまどわなければなりませんでした。
それがほんとうの原爆の姿なのです。
だが、そうした中で不思議な事に
母親が子供をしっかりと抱いて、
母は死んでいるのに子供が生きているという、
そんな姿をたくさん見ました。
親になって改めてみた原爆の図は、この2つの母子像に心を打たれた。
私の誕生日はポツダム宣言受託の日。改めて広い視野で1945年8月の出来事を考え続けたいと思いました。
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