絵本哲学カフェ~「100万回生きた猫」~
◆いろいろな視点と解釈◆
8月12日(日)は、アトリエみちのそらさんの「絵本哲学カフェ」~『100万回生きた猫』 に参加してきました(^^♪
私の母校でもある直ぐ近くの小学校で読み聞かせのボランティアをやっているので、この「100万回生きた猫」は時々読む絵本の1冊です。
小学生の時に読んだ時はよく分からず、あまり心に残らなかった。
大人になって、自分の子供に、他の子供達に読むようになり、もの凄く奥の深い絵本だと思い、自分なりに考えていました。
100万回生きた猫が何故、最後は生き返らなかったのか?
私は「『生を生きない者は、死をも死ねない』ので、最後は自分から生を生きたからこそ死ぬことが出来た。」という解釈。
私の大好きな山岸涼子作品の中に「朱雀門」という作品があり、この「朱雀門」は芥川龍之介の「六の宮の姫君」をベースにしてある作品。この「朱雀門」の中で登場人物が「(芥川龍之介は)生を生きない者は、死をも死ねない。と言いたいのよ。」という台詞があります。この一言が、「100万回生きた猫」にも通じると考えています。
色々な人の意見や解釈を聴き、違う視点でもこの絵本について考えることが出来ました。
登場人物の「白猫」。
この「白猫」をみると「女は男に媚びを売ってはダメ」と思い知らされる(笑)
俗な見かたをすると、「とら猫」というモテるハイスぺ男を値踏みし、「とら猫」に群がるメス猫の一匹にならず、「とら猫」に興味を持たせ「とら猫」から行動させる計算高い(頭のいい)いい女(メス猫)。という見方をしている自分が出てきました(笑) 同時に、男を変えられる力(魅力)を持った神秘性の女という見方も出来たり(笑)
前半の布石としてしか見ていなかった登場人物も、視点を変え掘り下げて見ると、とても魅力的な人物像だったり。私にはなかった視点でした。
「『生を生きない者は、死をも死ねない』ので、最後は自分から生を生きたからこそ死ぬことが出来た。」
この解釈は、他の人の意見を聞いても私の中ではブレなかったのですが、その周りの事を膨らませて考えることが出来たので、この絵本がとても好きな一冊になりました。
自宅に帰って来て、娘と「原爆の図 丸木美術館」に行き、その帰路の途中でフッと浮かんだ考え。
最後の一文。「ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。」
「 『最後は自分から生を生きたからこそ死ぬことが出来た。』と思うけれど、生きかえって、自分の大切な人がいない世界を、大切な人がいないのを抱えて生きていくのは、とても辛くて残酷な事だ。とら猫が、生き返らなくてよかったな。」と思いました。
絵本哲学カフェ~「100万回生きた猫」~、とても楽しい充実した時間でした(^^♪
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